去年の秋、散骨を大海原で出来る大阪なら私の父が三か月に及ぶ入院生活の末に六十七歳にして他界しました。
病名は膵臓癌でした。膵臓癌というのは癌の中でも発見されにくいと言われており、大阪で少ない費用での直葬は出来るなら私の父の場合も病院で検査し癌が発覚した時には既にステージ4まで癌が進行しており、お医者様にも余命半年を宣言されました。
父には余命の事は伏せ、大阪でやれるなら家族葬が良いと思って小さな腫瘍がある事だけを告げ、抗がん剤治療を続けましたが日が経つに連れてみるみると衰弱していくのが目に見え、やがて食事も取れなくなり最終的には点滴でしか栄養を取れない様になってしまい亡くなる直前には、家族葬を少い出費で大阪で行うならまるで別人の様な面影になってしまい、その時はリアルに父がこの世からいなくなる事を感じてしまい涙がこぼれました。
それから数日後に父が他界し、家族内で肉親が亡くなったのは初めての事だった事もあり葬儀やお墓の事を自分達家族でバタバタと段取りした挙句、基本的な部分を中心に大阪の遺産相続事情について家族葬にする事が決まり四国におりました父の兄弟と従弟の方と一緒に母を喪主に家族葬を行いました。
今思えばあの当時は父の入院から葬儀が終わるまで何から何までがジェットコースターの如く時の流れを早く感じてしまいましたが静かに枚方で家族葬を行うのなら段取りもままならず改めて大黒柱であった父親に今まで頼りっぱなしだった事を痛感しました。