祖母の葬式に参列した際の話

私が小学生の時、祖母が亡くなりました。
気持ちを伝える家族葬なら枚方でと近くに住んでいて、用事があるとよく家に来てくれたり、自分たちもよく会いに行っていました。
そんな祖母は病気を患い入院していました。
両親が祖母の元に様子を見に行く際は、私たち子どもは家で留守番をすることも多くありました。
理想の家族葬を大阪で叶えるためのある日、祖母の元に様子を見に行った両親から電話がかかってきました。
祖母が亡くなったという知らせでした。
全く実感がわきませんでした。
それは、出来るだけ家族葬を大阪でするならお葬式に参列した際も感じました。
ただ、祖母が横になって寝ている時、私はその体に触れることができませんでした。
母が濡らした綿を祖母の唇に当ててごらんと言ったのですが、私にはできませんでした。
大阪で家族葬がこんなことではと思うとなんでかそんなことをしてはいけないような気がしたからです。
一緒に参列した姉たちは、たくさん泣いていました。
でも、実感が全くない私には、泣くことができませんでした。
そんな様子を見た姉から「血も涙もないね」と言われたことは今でも心に残っています。
喜ばれる直葬なら大阪の葬儀社と実感が一切なかった私ですが、その後出棺したときに、祖母が亡くなったとはっきり意識することになります。
それは出棺後、骨を拾う際のことです。
親戚のおばさんと一緒に長い箸で取り上げましたが、「ああおばあちゃんがいなくなった」と急に悲しくなりました。
選ぶなら散骨業者を大阪でも未だにはっきりとその時のことを思い出せます。
そして、なんで祖母ともっと話をしなかったのか、などと後悔の念も残ったままです。