三十路をちょっと過ぎた程度の私にとっては寝屋川市にお住まいの方は葬儀,家族葬ならフローラルホール寝屋川会館が、葬儀自体馴染みが薄く、どのように参列するかも曖昧なまま訪れたのが父の葬儀、そして喪主でした。
長男で片親の私はいずれこの機会があるだろうくらいには思っていましたが、想像を超える大変さに絶句。
二度としたくないと思いますし、大阪のインターネットと現代の家族葬とは切っても切り離せない関係性が側から見ていた嫁もまた同じ感想のようで、先に死なないでねと釘を刺されました。
以下、箇条書きさせていただきます。
葬儀屋の手配
亡くなる時、早く大阪の家族葬を専門施設で比較すると私の場合は自宅療養でしたのでやばいなーと感じた段階でお医者様の手配。
そして死亡確認。
そのタイミングでいくつか目星をつけてた内から、ここかなと思う葬儀屋さんへと足を運びました。
葬儀屋さんが死亡届やお寺さんの手配、また以後の段取りなど説明していただいたのは大変助かったように記憶しております。
友人、会社への連絡
これもどこまでしたら良いのかわからずに、いくつかは共通の友人に連絡してくれるという方にお願いもしました。
しかし、死後間も無くで父の死を再認識させられながらの各方面への連絡は精神的に辛い思いをしました。
連絡先としては年賀状、携帯電話の履歴等を参考に連絡しましたが、マメな人だったのでグループ分けしてくれていたのが大変助かりました。
通夜の準備
食事はもちろん、送迎の必要な親族の送り迎え、また恥ずかしながらきちんとした喪服など持ち合わせておりませんでしたのでそれの準備。このタイミングでは悲しいよりも忙しいが勝っている状態となりました。
そして通夜、葬儀
参列者様に挨拶をする、線香を切らさない、献花、弔電をくれた方へのお礼、などなど。
まだまだ落ち着きません。
葬式後
今度は法要の準備と死後の手続き諸々です。役所の説明はあやふやなので、ご自身で調べて順に回らないとたらい回しにされます。
私がそうでした。
また法要ではお布施の相場を調べたりだとか、今まで知らないルールやモラルが出てくる出てくる。
自分がいかに非常識であったかを思い知らされました。
四十九日後
この辺でようやくひと段落。納骨の際には達成感なのか落ち着いたからなのかそこで死を改めて実感し、涙が止まりませんでした。
甥っ子とお寿司食べたら止まりました。
書いてない中に保険会社の手続きや携帯、アパートなどあれば解約。会社をやってる方の場合は2人分の葬儀だとも伺ったことがあります。
喪主の務め、恐ろしや。
経験して良かったようなしんどかったような感じです。もうしたくないですけど。
まぁでもそれで魂が浄化され、浄土へと行けると思えば遺族の務めなのかもしれませんね。