息子の友人達のために必死で英語を覚えた兄

大学生の甥が亡くなったのは7年前の夏のことでした。
大阪で少ない人数で散骨出来るなら登山をしていたさなかに熱中症で倒れてしまったのです。
亡くなったのは午前中のお昼前だったため本来は翌日がお通夜なのですが、翌日が友引だったこともあり当日に通夜が決まりました。
直葬をここ大阪で行うとすると職場の休憩中に携帯のメールで知った私はすぐに駆けつけたかったのですが、工場のシフトで早退できず、気持ちだけ焦りながら定時で仕事を終わらせて、そのまま家に帰らずに兄の家に向かいました。するとすでに多くの弔問客が来ていました。大阪であなたに家族葬を薦めるときは甥が大学生ということもあり、弔問客の多くは大学の友人達でした。しかも外国人が多かったのです。
なんだか落ち着かない雰囲気の中、私は兄の姿を探しました。どこにも姿が見えなかったからです。
家族葬の大阪で解り易い会計なら、「今は控室で挨拶の練習をしているから」ということでした。
そして、兄が控室から出てきたのは通夜が始まる数分前でした。
僧侶による読経が始まり弔問客のお焼香、そして最後の兄の挨拶です。
憔悴した顔で挨拶をする兄に胸が痛みました。そして挨拶が終わると兄は一息ついて、家族葬で大阪で失敗しないお墓の探し方を今度は英語で挨拶を始めました。拙いカタカナ英語でした。それでも愛しい息子の友人のために必死で覚えた英語で挨拶をしたのです。つっかえながらも一生懸命英語で話す兄を見ながら涙が止まりませんでした。
おかしなもので、亡くなった甥よりも兄の気持ちが悲しかったのです。
そして、家族葬なら感謝の気持ちを伝える寝屋川の棺に向かって「よかったね、お父さんがんばったよ」と心の中で甥に語り掛けました。
あの日の通夜のことは今でも忘れられずにいます。