いつまでも忘れない

おととしの春先に、相談できる安心の大阪で散骨なら私のひいおばあちゃんが亡くなりました。102歳と大変長生きしてくれました。優しくて可愛いひいおばあちゃん。みんな大好きでした。今でも愛される存在です。亡くなったのは朝方でした。大阪の直葬は少ない費用で出来ると職場に到着してすぐに母から電話がありました。なんだか嫌な予感がしました。おそるおそる電話に出ると、「おおばあちゃんがさっき亡くなった。早く来なさい…」と小さな声で話す母に、「…わかった」とだけ言い、家族葬をと、するなら大阪で思って急いで会いに行きました。まるで眠っているかのようでした。親戚がどんどん集まってきました。なかなか会えていなかった人にも会えました。それは私だけではありませんでした。大阪で家族葬をと、あなたが考えるならひいおばあちゃんとのお別れが、みんなを集めるキッカケになったのです。そしてお通夜の日、私は仕事でどうしても行けませんでした。その日の夜、ひいおばあちゃんの夢を見ました。真っ白な光り輝く背景の中に、優しく微笑むひいおばあちゃんがいました。チェックリストでする葬儀後から1周忌までは、ほぼ寝たきりの状態でしたが、夢の中ではまっすぐ立っていました。目が覚めた時、「ああ、お別れに来てくれたんだ」とすぐに思いました。その後のお葬式では、コンサルタントにも涙もたくさんありましたが、家族葬なら松原で皆の気持ちを伝えられるとひいおばあちゃんが築き上げてくれた親戚同士の絆が再確認出来て、笑顔もある本当に良いお別れが出来たと思っています。未だにあの笑顔を思い出しては、優しい気持ちになれます。

スタジオごとの料金プランを比較しつつ

私たちが結婚を決めた時、豪華な結婚式や披露宴を開くことは、なぜかあまり現実的に考えられませんでした。もっとシンプルに、二人らしい形で、夫婦としてのスタートを切りたい。そんな想いから、自然とフォトウェディングという選択肢にたどり着きました。しかし、準備を進める中で、私の心の中には一つの小さな、けれど無視できない想いが芽生え始めていました。それは、「これまで育ててくれた両親や、いつも一番に応援してくれた兄弟に、この晴れ姿を直接見てもらえないのは、少し寂しいかもしれない」という気持ちでした。そのことを彼に打ち明けると、彼もまた、同じように感じていたことが分かったのです。「だったら、みんなを呼んでしまおうか」。その一言が、私たちのフォトウェディングを、単なる記念撮影から、家族の絆を再確認する、かけがえのない一日へと変える、魔法の言葉となりました。 最初は、両親たちも戸惑っていました。「私たちは邪魔にならないかい?」「主役は二人なんだから」と遠慮する声もありました。しかし、私たちが「結婚式の代わりに、みんなに感謝を伝える日にしたいんだ」と真剣な想いを伝えると、次第にその表情は柔らかくなり、いつの間にか、私たち以上にその日を楽しみにしてくれるようになっていました。当日の服装は、少しだけドレスアップしてもらうことにしました。父はモーニング、母は留袖、兄弟たちはフォーマルなスーツ姿で。その姿でスタジオに全員が揃った時、そこには少し照れくさいけれど、間違いなく「ハレの日」の、温かく、そして凛とした空気が流れていました。それは、私たちが想像していた以上に、感動的な光景でした。 撮影は、まず二人だけのショットから始まりました。プロのヘアメイクと美しいドレス、そしてカメラマンさんの巧みなリードで、私たちは少しずつモデル気分になっていきました。そして、いよいよ家族をスタジオに招き入れる、その瞬間。扉が開き、私たちの姿を初めて目にした時の、母の驚きと喜びに満ちた表情、そして、いつもは無口な父の瞳が、静かに潤んでいく様子は、一生忘れることができません。私たちは、結婚式さながらに、母によるベールダウンのセレモニーを行いました。「幸せになるのよ」という、震える声と共にそっと下ろされたベールは、母の愛情そのもののようで、涙がこぼれそうになるのを必死で堪えました。そして、父と腕を組み、彼の元へとゆっくり歩く、ほんの数メートルのバージンロード。それは、チャペルで行う厳かな儀式とは違うけれど、父が私を彼に託す、という大切な意味が、確かにそこにありました。 その後は、全員での集合写真です。最初は皆、緊張で表情が硬かったのですが、カメラマンさんが「お父さん、新郎の肩を叩いて『娘をよろしく!』って言ってみましょうか!」なんて声をかけると、スタジオ中に和やかな笑いが起こりました。兄弟たちとは、昔のようにふざけ合ったり、肩を組んだり。かしこまった記念写真だけでなく、そんな自然体の、家族の温かい空気感がそのまま写し出されたオフショットも、たくさん撮ってもらうことができました。二人だけの撮影では決して生まれなかったであろう、たくさんの笑顔と、そして涙。それは、フォトウェディングという場が、私たち夫婦の門出を祝うだけでなく、それぞれの家族にとっても、これまでの歩みを振り返り、感謝を伝え合う、特別な時間となった証でした。 出来上がったアルバムには、美しい二人だけの写真と共に、少し照れくさそうに、でも最高に幸せそうな笑顔を浮かべる家族の姿が、たくさん収められています。その一枚一枚が、私たちにとって何物にも代えがたい宝物です。「結婚式よりも、かえってゆっくり話ができて良かった」「本当に良い一日だったね」。後日、両親からかけられたその言葉に、私たちの選択が間違っていなかったと、心から思うことができました。フォトウェディングは、決して二人だけのものである必要はありません。大切な家族を招き、共に創り上げる一日は、想像以上に温かく、感動に満ちています。それは、新しい家族の始まりを、最も大切な人たちと分かち合う、新しい結婚式の形なのかもしれません。