私の祖母は突然亡くなりました。納得料金で葬儀を枚方で前の日まで元気に散歩に行く姿がご近所さんに見られていたほど元気だったのでした。しかし、理想の家族葬を大阪で叶えるために掛かるお金は朝祖母の家に配達に来た牛乳屋さんがいつも少し話すために待っている彼女がいないことを不審に思い、玄関を開けてみるとそこに倒れていたそうです。明瞭に家族葬を大阪でするには牛乳屋さんが調べたところすでに脈拍はなく急いで病院に連絡していただいたのですが、祖母はすでに亡くなっていました。
そんな突拍子もないような話を学校でお昼に受けた私は急いで家に戻ることになり、出来るだけ大阪で家族葬をと思ってもほんの一週間前まで私と楽しく話していた人がもう何も言わず、動くこともなく、永遠に横たわっているその姿を目の前にしても死を受け入れられずにいました。
そうこうしているうちにあっという間にお葬式が始まり、直葬を大阪で本当に行うとすれば親戚一同が集まる中、件の牛乳屋さんも参列していて、私がもうちょっと早く来ていたらもしかしたらと悔しんでいました。私も含め親戚全員が彼を非難することはなく、あなたのせいではないむしろ赤の他人の最後にそこまで尽くしてくれてありがとうとお互い涙を浮かべながら語っていました。大阪で相談できる散骨にはそういう温かい光景を見て私もやっと祖母の死を受け入れられました。こんな暖かい人たちに囲まれて生きてきた彼女の人生もその死も決して悪いものではないのだと、孫の私が悲しんでばかりいてはいけないと、胸の中で強く思いました。
祖母の体が入った棺桶が火葬場で焼かれる瞬間はそれでも涙があふれ出てしまいましたが、その後炉の煙突から煙が上がっていくのを眺めていたらああもう彼女は死んだのだと驚くほど冷静になり、ぴたりと涙が止まりました。自分でも不思議な感覚でした。
そうして私の祖母の襲うs期は終わったのです。