祖父の葬式に参列した日は、故人様を偲ぶ寝屋川では、お花いっぱいの葬儀をとにかく忙しかった事を覚えています。当時は私の父が喪主を務めたので、父は常に動き回っていました。何故なら、お坊さんを迎える準備や弔問客の受付などの仕事を父を中心に行っていたからです。親族は沢山いたのですが、ペットが亡くなった際の大阪での家族葬は遠方に住んでいたり仕事の都合などで葬式の打ち合わせすら出来ない人が多く、私の家族が中心に式を執り行いました。
葬式の中でも特に印象に残ったのは読経です。家族葬専門施設を大阪で比較検討しようとお盆に読んでもらうお経とは違って、お坊さんは長く時間を掛けてお経を読んでいました。葬式に駆け付けてくれた人は多かったので、大きなお寺で葬式を行なったのですが周囲の大人が一斉に手を合わせる姿は少し恐ろしく感じた事を覚えています。
読経を終えた後は焼香をするのですが、盛んに行われる今ごろの家族葬を大阪でまだ子供だということで母と一緒に焼香しました。ドラマなどでは、焼香のシーンで故人に思いを馳せますが現実では時間が決められているため思いに耽る間もありませんでした。それくらい、祖父の葬儀は限られた時間の中で迅速に行われていたと感じます。
その後、祖父の遺体を火葬しました。大阪で直葬を行っている葬儀社は葬式の前に作っていた千羽鶴を祖父の眠る棺に入れました。しかし、燃えてしまうと骨しか残らない事を後で知りました。その時に祖父は本当に死んでしまったのだと感じました。

葬式は、限られて時間の中で迅速に厳かに執り行われた印象が強いです。周囲の大人は散骨を大海原で出来るなら大阪でも忙しく動き回っていて子供は子供同士で、時間を潰すしかありませんでした。葬式中は祖父が死んでしまった実感は湧きませんでした。しかし、火葬されると骨しか残らないためその時に「人が死ぬ」事について深く考えさせられました。